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​だ

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History

      中学一年生、冬。母子家庭になりました。

母、兄、犬2匹。それまでは父が料理をよくしていた記憶があります。僕は小さいころから買い物や料理をしたい子供でした。

犬に食べさせるご飯を作ったり、野球部から帰ってきて空腹で我慢できないときは適当になにかを作っていました。

そんな環境もあってか、料理が自然と身につき、高校からのアルバイトは飲食店ばかり。

お店で作っていた料理、賄い。その時はなにも思っていなくとも、今の自分の原点になっているのだろうと思っています。

それから好きなことや会社員をしたりと料理の世界とは違った道へ。

それでも、心の中に持っていたものは変わらなかった。

 

「大きな親孝行をする」

何をすれば喜ぶか?

ずっと模索をしていました。

お金を稼ぐことができれば、旅行とか連れて行ったり、プレゼントをあげることができるな。

なんて思っていたが、ある日、

仕事で女性誌を見ていたら、男性の料理研究家が目に入ってきた。

仕事目線で料理人は重々理解していたが、料理研究家は常々、テレビで見かけても気にもしていなかった。

だって、女性がする職業。

それが覆った瞬間だった。

「これだ!これだったら大きな親孝行ができる」

直感だった。

それから、「料理研究家」を調べてたどり着いたのはフードコーディネーター養成スクール。

会社も退職し、アルバイトをしながら二つのフードコーディネーター養成スクールに通い、休む暇もなく時が過ぎました。

卒業をしてからは大手料理教室の講師、料理研究家岸田夕子(勇気凛りん)先生のアシスタントをさせてもらい、修行を積んでいました。

「料理研究家」という肩書で活動をしてから一年四か月。

​一番の目標としていた出版が決まった。

親孝行には人それぞれ、色々な形がある。

僕は中学時、なかなか想像できないような壮絶な体験をしたことがあるが、おふくろは強かった。

​そんな背中を見ていたから、人一倍、「親孝行」に対する想いが強かったのだと思う。

僕は「究極の親孝行」を料理研究家で果たせた。

ただ、大人になってから学生時代を少し後悔に思うことがある。

それは、料理ができたのにおふくろには作ってあげなかった。

恥ずかしいのか面倒だったのかその当時の気持ちは覚えていないが、作って一緒に食べていればおふくろも喜んでくれていただろうと思うと申し訳ない。

現代、「孤食」という言葉が増えており、家族のコミュニケーションが減ってきている。

そういった状況を少しでも改善していきたいと思っています。

背景には、数年前に起きた少年の殺害事件。

母子家庭でコミュニケーションがあまり取れなかった時期での事だったということ。

僕が育った地元の隣町で起き、町の状況とかもわかるので強く印象に残っています。

微力かもしれないが、「食」という生活するうえでは欠かせない時間を家族団らんの時間にしてもらうことが僕の願いです。

料理を一緒にすることでコミュニケーションの場になったり、作った料理を一緒に食べることがコミュニケーションの場になり、家族の絆が強まる。

​同時に料理の文化を紡いでいく活動をしていきます。

「おふくろの味」をほぼ知らない

ぶっきらぼうな息子が贈る

​「息子の味」という一つの親孝行

それが

​「息子の味」を、おふくろへ

です。

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